モンテスキューの「法の精神・三権分立」とは

公民

モンテスキューは、18世紀のフランスで活躍した思想家で、1748年に『法の精神』という本を出版しました。

この本は、政治のあり方や法律の仕組みについて考えた内容が書かれていて、後の民主主義社会に大きな影響を与えました。

特に有名なのが、権力を三つに分ける「三権分立」の考え方です。

では、この考えがどのように生まれたのか、当時のヨーロッパの政治の様子とともに見ていきましょう。

当時のヨーロッパの政治情勢

モンテスキューが生きた18世紀のヨーロッパでは、多くの国が「絶対王政」という政治体制をとっていました。

絶対王政とは、王がすべての権力を握り、法律を作ることや国を治めること、裁判を行うことなど、すべてを一人で決められる体制です。

この時代、フランスではルイ14世やルイ15世といった国王が強い権力を持ち、自分たちの意思で政治を進めていました。

しかし、絶対王政のもとでは国王の権力があまりにも強すぎたため、不公平な政治や法律が生まれやすく、国民の不満が高まることも多かったのです。

一方で、イギリスでは17世紀末に「名誉革命」という出来事が起こり、王の権力を制限して議会が強い力を持つ「立憲君主制」が始まっていました。

このように、フランスやイギリスの状況を見て、モンテスキューはそれぞれの政治体制を比べながら、より良い政治の形を考えました。


三権分立とは

モンテスキューは『法の精神』の中で、「権力が一つの場所に集中すると、自由が失われてしまう」と指摘しました。

そして、権力を三つに分けて、それぞれが互いに監視し合う仕組みを作ることが大切だと主張しました。この考え方が「三権分立」です。

三権分立では、権力を次の三つに分けます。

立法権(法律を作る力)
国のルールを作る役割です。例えば、どんな税金を集めるか、どのような法律を作るかを決めます。この権力は国民の代表が集まる議会が担当します。

行政権(国を治める力)
作られた法律に基づいて、実際に国を運営する役割です。たとえば、法律を使って犯罪を防いだり、公共の施設を作ったりします。この権力は政府や内閣が担当します。

司法権(法律を守らせる力)
法律を破った人を裁いたり、法律の意味を判断したりする役割です。この権力は裁判所が担当します。

モンテスキューは、これら三つの権力をそれぞれ別々の機関が持ち、互いに独立して働くべきだと考えました。

例えば、立法権を持つ議会が法律を作りすぎたり、行政権を持つ政府が自分勝手に動いたりしないよう、司法権を持つ裁判所がチェックするという仕組みです。


モンテスキューの影響

モンテスキューの三権分立の考え方は、当時のヨーロッパにとって非常に革新的でした。

この考えは後にアメリカやフランスの政治制度に取り入れられ、現代の民主主義の基礎となっています。

例えば、アメリカの独立後に作られた「アメリカ合衆国憲法」では、議会(立法)、大統領(行政)、最高裁判所(司法)という三つの機関が権力を分け合っています。

また、フランス革命後の政治にも影響を与え、フランスも三権分立を取り入れることになりました。


三権分立の大切さ

三権分立の仕組みがあることで、どの機関も一人の人やグループが好き勝手に権力を使うことができなくなります。

この仕組みは、国民の自由や権利を守るためにとても重要です。

もし、王や政府だけがすべての権力を持つような状態になると、法律が不公平に使われたり、国民の声が無視されたりする危険があります。

モンテスキューが伝えたかったのは、権力を分け合い、互いに監視し合うことで、公正で自由な社会を作ることができるということです。

これは現代でも変わらず大切な考え方です。


まとめ

モンテスキューの『法の精神』は、絶対王政が広がっていた時代に、「権力は分けて使うべきだ」という新しい視点を示しました。

三権分立の仕組みは、今の日本を含め、多くの国の政治制度に影響を与えています。

彼の考えは、国民一人ひとりが平等で自由に暮らす社会を目指す上で、今でも重要な教えとなっています。

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