
ルソーの『社会契約論』は、18世紀のヨーロッパにおける政治思想の中で重要な役割を果たしました。
この本の中心的なテーマは「人民主権」です。
そして、その背景には当時のヨーロッパの政治情勢が大きく影響していました。
当時のヨーロッパの政治情勢

18世紀のヨーロッパでは、フランスをはじめとする多くの国で絶対王政が続いていました。
絶対王政とは、国王がすべての権力を持ち、国民の意見はほとんど反映されない政治体制です。
一方で、「啓蒙思想」と呼ばれる、人々が理性や自由を重視する考え方が広がりつつありました。
そのため、王の権力を制限し、国民が自分たちの意見で政治を行うべきだという考えのもと、社会が変化の時を迎えようとしていたのです。
ルソーが『社会契約論』を発表したのは1762年。
この本は、王が一方的に支配する政治体制に疑問を投げかけ、より平等で公正な社会を実現するための新しい考え方を示しました。
ルソーの「人民主権」とは?
『社会契約論』の中で、ルソーは「主権(国家を動かす最高の力)は人民にあるべきだ」と主張しました。
これが「人民主権」という考え方です。
ルソーによれば、社会を成り立たせるためには、個々の人々が互いに契約を結び、「共同体」を作る必要があります。
この契約は、誰か一人の利益のためではなく、全体の利益を追求するものです。
このとき、共同体全体の意思を「一般意志」と呼びます。
一般意志に基づいて決められたルールは、すべての人が守らなければなりません。
なぜなら、それが最終的には全員の幸福につながるからです。
つまり、ルソーの社会契約論では、国民一人ひとりが政治の主人公であり、みんなの意思が集まって社会を動かすという仕組みが提案されているのです。
ロックの社会契約説との違い
ここで、ルソーの社会契約論とよく比較されるのが、イギリスの思想家ジョン・ロックの社会契約説です。両者は似ている部分もありますが、大きな違いがあります。
ロックの社会契約説では、政府の役割は「人々の権利を守る」ことにあります。
ロックは、すべての人が「生命・自由・財産」といった自然権を持っていると考えました。
そして、人々はこの自然権を守るために政府と契約を結びます。
もし政府が人々の権利を侵害するようなことをすれば、国民は政府を変える権利(抵抗権)を持つとしました。
つまり、ロックにとって政府は、あくまで人々の権利を守るための手段なのです。
一方、ルソーの社会契約論では、「個人の利益」よりも「全体の利益」が重視されます。
ロックが個人の権利を中心に考えたのに対し、ルソーは共同体全体が調和して生きることを目指しました。
この違いは、ロックがイギリスの比較的安定した立憲政治の中で考えたのに対し、ルソーがフランスの絶対王政という厳しい状況の中で考えたことによるものと言えるでしょう。
まとめ
ルソーとロックの考え方はどちらも「社会をより良くするにはどうすればいいか?」という問いに向き合ったものでした。
しかし、そのアプローチは異なります。
ロックは個人の権利を守ることに重点を置きましたが、ルソーはみんなで力を合わせて社会全体を作り上げることを提案しました。
今の私たちの社会は、これらの思想を基に発展してきました。
たとえば、日本国憲法にも「国民主権」という言葉がありますが、これはルソーの「人民主権」の考え方に近いものです。
『社会契約論』やロックの思想は少し難しく感じるかもしれませんが、どちらも「自分たちの社会をどう作るか」という大切なテーマを考えたものです。
ぜひ、みなさんも自分たちが暮らす社会について考えてみてください。
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